人生の宝物

仕事で、中学生から二十歳までの子ども達で作る劇団の旗揚げ公演のお手伝いをした。
今まで、大人達の手を借りてというより、大人達がお膳立てするものに参加してきていた子達。
それでも、相当に自由の気風ある創造集団だったから、そこで育った彼らは超個性的だし、すばらしい表現力。
でも今までオリジナル台本を作った事もなければ、自分たちで演技を突き詰めた事もない。
それを今回初めて味わいながら、どんどんキラキラしていく模様を、まぶしいなあと見ていた。

そうしたら、同じように、自分の高校時代の事を思い出した。
ある学校の枠を超えた県内のイベントで、ミュージカルを上演したい、と無謀にも言い出したときの事。
ちょうど、今の子達と同じ、17歳。

右も左も分からない私たちに、同じく10代でミュージカル劇団を主宰している高校生を紹介してくれた先生がいた。
私たちは公演も稽古も観に行き、連絡を取って進め方を聞き、こちらの稽古にも見に来てもらって、なんとか作品を作る、という具体的方法を知った。
台本を、私を含めた3人で書いたときは、
書き方なんてわからないから、ノートに3人順番に回し書き。
つまり、Aちゃんがこういったら・・・次はBちゃんはこの台詞。
というように、3人で手紙をまわして会話をするように物語を作っていった。
今思えば無謀・・・
稽古場もなかったから、いつも春先の夜の公園に集まった。
休んでいたタクシーの運転手さんが、全部見て「ブラボー」と言ってくれたり。
主人公の女の子が叫ぶシーンが出来ないのを見たメンバーが
「こうやって叫ぶんだよ」
と、「いやぁ〜〜〜〜!!!」と数名壮大な声を上げたり(うーん、警察こなかったのが不思議だ)
替えの電池をたくさん持って、キーボードかついで、夜な夜な集まったんだった。
じんちょうげの花の匂いは、今でもそれを思い出させる。

ちっとも稽古を見に来てくれなかった担当の先生は、当日会場に行ってみれば、ちゃんと音響も照明も打ち合わせてくれていた。
私たちが想像も及ばなかった細かな準備は、全てされていた。
といっても、それを知ったのは、私が舞台を作るノウハウを知った数年後のことだったけれど。

あの時、全て終わって泣きじゃくった気持ちが、多分今の私の位置を作っている。

同じように、話も出来ないくらいしゃくりあげながら、感謝と達成感と友情を語る、今回の少年達の顔を見ながら、もう一度、その事を思い出した。

やりたいことをがむしゃらにやったときに、助けてくれた大人がいたこと。
あのときは、そばにいる仲間達が全てだったけれど、それを見守ってくれた大人に、ようやく思いを馳せることができるようになった。
今回子ども達に関わらなければ、その事を思い出さなかったかもしれない。
あの頃の先生達が、どんな思いで、何を大切にしてくれていたのか、やっとわかった。
自分たちが何かをやりとげたのと同じくらい、自分たちを尊重してくれた大人の存在は、
大きなものだと思う。

こうやって、人生の宝物は、いくつも生まれるのだなあ。
高校時代の宝物に上書きをするように、この子ども達の舞台への関わりもまた、私にとって宝物になったのだった。

子ども達にとっても、これから何十年心の支えになるような、そんな宝物になっていたらいいなと思う。
どの道に進んでも進まなくても、それがあるかないかは、本当に全然、違うんだよ。


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