ライブレビュー 「飛び出した金魚」

もうだいぶ日にちがすぎたけど、先月の室坂京子さんのピアノライブのこと。
最近、素敵!と思うと、すぐに言葉にならない(笑)
(そして素敵だと思わないと、全く言葉にならない…)

早稲田通りの細道を入り、
文化財的な教会に着くと、中には年季の入ったベヒシュタインのかわいいピアノ。
室坂京子さん(以下京ちゃん)が登場すると、最初に取り出したのはマレット、
そしてピアノの鍵盤ではなくてフレームを叩き出す、という、スタートからクスクスしちゃうライブでした。

音はつながったままプリペアードの即興からバッハに移り、即興にまた戻り、
美しい音に限らず、響く音も響かせない音も自由自在に操るそれを聴いていて、何だか新しい世界を覗いた気分になりました。
プリペアード奏法は下手をするとパフォーマンスに映る事が多く、
わざわざそれをやらなくてもと思うことも多いのですが、京ちゃんのは、印象が逆。
この音こそが、彼女の住んでる世界の音なんだ、と思ったのでした。

京ちゃんがずっといるその世界は、予定調和ではなく、全てが美しいわけじゃなく、
ザラザラした違和感も不思議な不協和音も全部内在してて、だからこそそれって豊かで面白いよね!という生物多様性みたいな(笑)世界でした。
それをひと時、コンサートの中で見せてもらって、自分の扉がまた一つ開くというか、自分の中でキラキラ小さいものを発見するというか、なんか変な感触。

なのに、その後のバッハとスペインは、打って変わっての端正さと上品さで、圧巻で、これまた深いところが興奮して、もう身体の中パツンパツン。
クラシックという基礎を充分に満たしながら、それはどう聴いても、オリジナル、現代の音楽なのでした。

ただこうやって生きてきて、これからもこうやって生きていく。
連続する時間を丁寧に積み重ねて、暮らし全てを一本の糸で連ねて、
そういう今を、肩肘張らずに、別に主張するでもなく、ただ表現している室坂京子さん。
美しかったです。

わたしもそんな風に生きてみたい。
音楽を聴いただけでそう思うってすごいなあ、と思う帰り道でした。


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