言葉を尽くして

私は、最近のインターネットやメディアが、しんどい。
あらゆる言説が右も左も(この分類も古すぎて違和感あるけど)
お互いを議論ではなく叩き合い、
真偽の分からないコメントや風説が、スピーディーに感情に訴えるやり方でシェアを広げ、
深くゆっくり考えて丁寧に言葉にすることよりも、脊髄反射的、勧善懲悪的な発言に人がむらがる。

あれ?言葉の世界ってこうだったっけ??
こんなにキツい他者排除の表現が闊歩する世界だったっけ?
私は文章を読むのも書くのも、呼吸をするように大切なのだけれど、
この世界では呼吸が全く出来ません、というわけで、
本の乱読に逃げ込みました(笑)

構成され、推敲され、編集され、
他者の目が入りながら、時間差を持ちながら生み出される本に、
それぞれ好みはあれど、少し救われる思い。
私は、ほんとうに本が大好きだー!

そんな中での思想家 内田樹さんの「呪いの時代」を手に取りました。

時代の読み方、政治と経済の捉え方、そして、あの原発事故への考え方。
全てに賛成し、納得するわけではないのだけれど、
彼は伝えたい思いは言葉を尽くして(時に尽くしすぎて)伝えており、
だからこそ反論や議論の余地が残されている。
受け手への投げかけに信頼がある。
品のある文章だなあと思います。

最大の魅力は、回りくどくて学術的で、「あーめんどくさい!」と脳みそフル回転しながら読み進める中に、突如として感性と本能をズキュンと打つ一文が現れること。
それは抜き出して書いてもごく普通なのだけど、あの文脈の中で出会うと、
「刻み込もう」と思えるような重みのある言葉になるのです。

例えば
呪いは相手にかかると同時に、自分自身に最も強くかかり、
その呪いを解除するのは「祝福」しかないということ、
それは自分自身の邪悪さも含めて愛するということから始まるということ。
(同じことが社会でも起きている)
それから、人には天賦の才能が誰にでも与えられており
(そういうとすぐ自分は凡人だからと卑下しそうになるけど、
なんと内田さんの才能は「嫌なことを絶対に我慢出来ない才能」だというから、
それこそ千差万別誰にでも与えられてる種類だよね…)
天から与えられた才能には返礼義務があるということ、
それが、この世に自分が出来る最大の貢献は何かということを考えるということ。

経済とは、交換ではなく、ぐるぐる回すだけのものだという贈与経済という考え方。

自分の考えを、情理を尽くして伝えることと、
それを受け取る側への敬意と信頼が、対話を可能にするということ。

今の様々な状況に全て当てはまるんだよなあと思いながら読みました。

私は、「言葉は人だ」と思っているので、
稚拙だろうが無骨だろうが、そこに宿るエネルギーがどんなものなのかをいつも敏感に感じ取っていたい。
安っぽい、薄っぺらい、人を簡単に否定したり傷つけたりする言葉が、
この世界を埋め尽くすのはとてもおそろしい。
言葉は人なら、言葉は世界なわけで、それだけで怖ーい世界があっというまにできあがる。

ま、すでに相当に怖い世界なんだけど、だからこそ、その中でも、
ゆっくりと私は自分の言葉を編むしかない、
この本を読んで改めて思ったのでした。

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