ボビーマクファーリン@ブルーノート東京

2008年に、初めてボビーマクファーリンを観に行った。(そのときの記録はこちら
そして、今回、ようやく2度目のご縁。

あのときは大ホールの3階席、今回はブルーノート東京、指定席もかなりステージに近くて、
そして今回はツアーファイナル、千秋楽!
前回はオーケストラと競演、そして今回はバンド。
どんなふうに違うのか、または違わないのか、と期待は止まず。

もう期待しすぎて、裏切られるんじゃないかとすら思いましたが(笑)
やっぱり最初の一音から号泣。
日々のごちゃごちゃや、全部の鎧をはがしてしまうような声でした。

この人の歌声は、宗教的な意味ではなくて、ひたすら「Good Bless you」だけを伝えているように感じます。
声を通じて、聴き手へというか世界へ、祝福を贈っている。
植物が日の光を浴びる事が必須なように、
この人の声が降って来たとたん、人類にはこれ(音楽)が、必須だよね。と身体が理解しました。

力の抜け切った身体、一点を見つめる静かな目、そして、何処から出ているか全然わからない声。
ほとんど神の領域だわと思ったのですが、
でも、ライブそのものは、驚く程、生身の人間でした。
若手とベテラン、中堅の入り交じったバンドとともに、カバー曲はやるし、ポップだし、
お客さんの声を拾って遊んでみたり、共演者と笑い合ったり、そうかと思えば、きっとリズムやノリがイメージと合わなかったのか、共演者へじれったさを表現していたり、少々疲れていたり、
あらゆるアクションが、人間くさくて、そして音楽そのもの。

なるほど、与えられた豊かな才能とか、そういうことじゃなくて、
人という存在は音楽なのだ。必須どころではなく、イコールな存在。
あらゆるコンディションで揺れ動き、一定ではない、完全無欠でもない人の身体と精神そのものが、
音楽。
本来の姿を思うがままに表現出来ていたら、人はみな音楽そのものだよな、
それをこんなに具体的にボビーが体現出来ているから、泣けてしまうのかもしれないな。

もちろん、ボビーの飽くなき追求心と貪欲さと、音楽への忠誠心は並外れていると思うし、
才能はおそろしく溢れてるのだけれど。

本当に、会えてよかった。
けして安くないこのコンサートに、それほど裕福ではないだろう(私同様)音楽を志す若い人たちも、たくさん観に来ていた。
それもまた、希望でした。


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