舞台の上で在るということ

地元にほど近い場所で活躍しているちょっと気になる劇団鳥獣戯画の
「雲にのった阿国」を先日下北沢本多劇場へ観に行きました。

子ども向けの小さな作品や、市民ミュージカルを拝見したことはあったのですが、
やっぱり劇団の本領は手打ち公演だと思っています。
ほんとにその通りだった。
手打ち公演には、劇団の覚悟や、方向性や、大事にしていることが如実に現れます。
特に、大勢の役者とスタッフと劇場を、長期に渡って巻き込む大きな舞台は、真ん中の思いが全て。
そこでしか人はまとまらないと思うから。
大事に創った手打ち公演を、芝居のメッカ、私の大好きな下北沢で、
何度も通った本多劇場で観られた事に感謝。
40年、公演を続けていることに、最大の敬意を表します。

作品自体は、面白かった!と諸手を挙げて言う事は、私は、今回は出来なかったのだけれど、
周りを見る限り、素晴らしい評判だったと思います。
私はどうしても、脚本、演出、音楽、音響などが気になってしまう。
芝居のテンポとか、
舞台の使い方とか、
それぞれの役者さんの立ち位置とか、
音楽の出方と仕舞い方、音量、出所とか、
曲芸の存在や有る意味とか、
ああ、芝居がとても大好きだから、そこを気にしない事にはできない…

それでも全てを吹き飛ばすほど、私が最も感動したのは、
主役阿国を演じた石丸有里子さんの、阿国としての在り方でした。
劇中踊りまくるダンスも、芝居も歌も、一生を通じて変わって行く顔つきもすごかったけれど、
神髄は、芝居の中で何度か見せる「お辞儀」にありました。
一つ一つちょっとずつニュアンスが違って、ひとつひとつ、魂が入っていて、
言葉にならない思いがぐっと伝わってくる、ただ、一瞬の、お辞儀。

役者の仕事はこういうことなのだ、と思いました。
セリフをしっかり伝える事も大事、
感情を爆発させることもドラマティック、
でも、「ああ、この人(役)が、生きてここに存在する」と思う瞬間って、
そいういう小さな所作の一つ一つの積み重ねだと思うのです。
所作の品は、絶対に隠せない。
恐い仕事であると同時に、これが生の舞台の醍醐味だ、と思いました。

舞台に立つということは、
生活全て、生き方全てが舞台に寄り添っていくということ。
それは、役作りをするとか、所作をきちんと習うとか、それを基本に置いた先の、
もっと本質的なその人の覚悟のようなもの。
それを、石丸有里子さんと、何名かの役者さんに感じられたことが、
喜びでした。

芝居ってやっぱりいい。
客席にいることの喜びを忘れてしまったら、いいものは創れないなあと改めて思ったのでした。


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