制服を脱ぎ捨てる者

私は音楽に関わる仕事をしていながら、自宅ではほとんど音楽を聞かないのだけれど、
「定額聴き放題」という最近のシステムがどうなのか、自分でどう感じるのかを確かめたくて、
Apple Musicを始めてみた。

Apple Musicを聴きまくって思うことには、
日本のポップス界のアーティストの違いって、
学校の中で許される制服の着こなしの違い程度と同じだ、ということ。

制服を着崩したり、目立たないようにナチュラルメイクしたり、校則をすりぬけて茶髪にしたり工夫してるけど、
決して、私服通学を貫いたりはしない、という感じの音楽に聴こえます。
学校の先生に3年間追いかけ回されて、改心を迫られたりしないんだ(知人の実話 笑)
学校以外の世界で生きたりはしないんだ。

とくにポップスでヒットするひとつの要因って、匿名化、記号化なのだなと思った。

ある程度のラインまでは、アーティストの個性、独自の感性が魅力なのは確かなのだけれど、
それをヒットにもっていくには、そこにフィルターをかけ、最大公約数化して、その個性を記号に変える。
そしてその記号を、いくつかのパターンに分類する。

それがあのどれ聞いてもコンプガリガリの平均化サウンドで、
同じような声とサウンドと詩で、それはアニメなどと同じ「記号」「ラベル」なんだ。
だからこそ、見知らぬ誰にとっても、なんとなく共感できるものになる、最大公約数。

ある意味、占いみたい。どう言っても一部思い当たるように語るという。

その記号から外れると、共感する人は極端に共感するけど、強烈な違和感も伴う。
だから一部にしか受けないものになるのだな。

あらゆる音楽があることの一つに、制服みたいな音楽があることは別に問題はないのだけれど(私は好みじゃないだけで)
それだけがメインストリームだと思われると悲しい。
そして気になるのは、アーティスト自身が、けっこう今も喜んで制服を着続けているように思えること。

その服は、きっと安心するんだね。自分の素を、晒しすぎることがないから。
でも、自分の素を晒さない音楽って、もはや消費財でしかない気がする。

制服を脱ぎ捨てる者はいないのかな。
脱ぎ捨てた者は、ヒットチャートに乗れないのかな。
まあ、私の知ってる人は、みんな、私服通学貫くタイプか、そもそも管理教育捨ててるタイプか、なんだけど、
そういう人もいるということを知るだけで、聴く側だって人生楽になる気もするんだけどな(笑)