演劇だからこそできる主張@「琉球の風」

初めての劇団東演「琉球の風」を観る。

かなり意欲的な問題提起作品を作り続けている中津留章二さんの作品、今までなかなかご縁がなくて、やっと観れました。

討論劇という感じの、沖縄の問題点を軸にした物語。
沖縄問題の入口に、これを見て討論したら、さぞかし面白かろう、という知的満足度の高い作品、ですが、なんだか最初、微妙に感情移入しにくい。
芝居が、ちょっとあざといし、選曲がなんだかちぐはぐに感じる。

この違和感はなんだろうと思って考えながら観ていましたが、
それは多分、現実をニュースや、リアルタイムで見ているから。
あの圧倒的なリアルの前には、演劇的なものが邪魔になっちゃうのですね。
架空の物語や時代が違う物語なら、きっと気にならなかったのに。
それほどまでに、現実のインパクトというのは強烈なんだなあ。
それを題材にするのは、(沖縄に限らず)難題だ。

でも、後半からだんだんと台詞だったはずのものが生きた言葉に聞こえ、ドキュメンタリーを見ているような錯覚に。

特におじい「島袋」役の佐々木梅治さんには、胸が締め付けられました。
終盤で、おじいが読んでる新聞のトップ記事は、あれ芝居の架空の小道具じゃないんだよ、
本当の新聞の、本当のニュースなんだということも、リアルタイムだからこそ、悲しい。

沖縄に限らず、賛成、反対に分断された(それだって国策だと思いますが)人たちが、
それぞれの誠意と哲学と現実の中で生きている。
芝居の中のように、現実世界でも相手を説得したり、間違いを正したりする物言いが本当に多いけれど、違いを分かり合う事から始めるしかないんだと、思い知らされる芝居でした。

がっつりと胸に宿題を落とされ、でも演劇的なカタルシスも味わえたのは、
カーテンコールでも一礼のみで、「ありがとうございました」すらない、という久しぶりに清々しいエンディングだったから。(トークショーはおろか)
言いたいことは全て芝居で言いきった。という品格は、あの一礼だけで十分伝わるのでした。

全公演完売だったのも頷ける、今を生きる演劇でした。

演劇には喜びも悲しみもリアリティもファンタジーもエンターテイメントもあってこそ面白いと私は思うから、こういう思想の貫かれた作品ばかりを観たいとは思わないけれど、
でも、演劇だからこそできる、絶対必要な表現と主張だと思いました。