怒りを超えて闘う人たち「カンタ・ティモール」

自由の森学園の高校生有志が企画した映画上映「カンタ・ティモール」
いろんな若者が上映会企画をしているのを見て、すごく見たかった作品でした。
映画は、インドネシアの非道な虐殺や支配に抵抗しながらも、けして相手を傷つけない抵抗を貫いて、独立までこぎつけた東ティモールの人たちの闘いを間近で取材した丁寧な作品。

一度見ただけではちょっと時系列がわかりにくいこともあるのだけれど、
彼らがどれだけ家族や仲間を殺されても、口々に「怒りはない」と言う言葉が印象的でした。
怒りや憎しみで相手に報復はしない。

怒りと闘いは、べつものなんだ。

だけど、それは怒りを押し込めることや現状を甘んじて受け入れることではないんです。
彼らは怒りではないもっと大きな視点で、命がけで独立と民主化をかけて闘っていた。

なんかね、闘いの話なのだけれど音楽の話だし文化の話だし、信仰や哲学の話だし。
彼らの生き様は、音楽と文化と哲学と信仰とともに政治とか国とかもぜんぶひとまとまりになってて、なんというか、どれもボーダーレスで分断してないのです。

そこがとても興味深かった。

大地と自然を敬い、前大統領も、見えない自然の不思議な力を信じているという素敵さ。

親と親戚を区別するような言葉がない「親戚がみんな私の親たちだし、私の子たち」という共同体の感覚や、終演後の監督のお話の中にも、「私とあなた」という概念が曖昧だということをおっしゃっていて、全てを包括、包摂した生き方は、豊かだなあと思いました。

この豊かな彼らに、インドネシアも、東ティモール侵攻に間接的に加担していた日本や他の国々も赦されている。遠い国の人たちに、赦されるという慈愛の感覚もまた、不思議なもの。

なんとなく私は、沖縄に重ね合わせて見ていました。

終演後の監督とフォトグラファーの方の話もすばらしかった。

昨年亡くなった主人公のアレックスが、震災後に日本の人に送ったメッセージを最後に監督が紹介してくださって、涙が出ました。
「自分がやるべき仕事をやるときに、生きている人たちだけじゃなく、たくさんの亡くなった人も力を貸してくれる」というような、私より年下とは思えないような深いメッセージでした。
亡き父と沖縄のことが、再び重なりました。
自分の魂の仕事に、みんな出会えたらいいな。

これを企画した高校生が、最後に映画の中の曲を歌ってくれたのもまた、すばらしかったです。
この若者たちの動きが、希望。

それにしても、「自由なのに、独立しているのに、なぜ発言しないの?」
「自由は使われていないとダメになっちゃう。」
そんな映画の中の言葉を、私たちは受け止めなくちゃいけません。

もう一度、心して観たいな。