エッセイ

分かりやすくすることは本当に必要なのか エッセイ

分かりやすくすることは本当に必要なのか

ミュージシャン(特にクラシックを学んだ音楽家)と話題に登るのは「クラシックの敷居を下げて一般の人に分かりやすくするのは必要なのか」という話題。今日もスタジオに来た音楽家とそんな話になった。もちろん、堅苦しくなく音楽を楽しんでほしい。音楽は理屈じゃない。のだけれど、「分かりやすくする」ことで、どうして…
臨戦態勢を整える エッセイ

臨戦態勢を整える

休みの日。舞台本番がなくなったとはいえ、なんだかんだやることがあり、なんだかんだ人が来るスタジオ。少人数でもできることなら進めておかないといけないから、みんな、制作モード、仕込みモードに頭を切り替えている。この作業そのものに即収入は発生しないけど、作っておかないと今後の「売り物」がないわけで、コロナ…
覚えておこう、今日の日のことを エッセイ

覚えておこう、今日の日のことを

さすがにスタジオに来る人たち、話題がマスク2枚で持ちきり(笑)ギリギリの活動、ギリギリの生活の中で聞くには、あまりにもびっくりなエイプリルフールの真実だった。私も、自分の周りの環境しか見えないので、子育て中の人や、毎日都内に通勤しなくてはいけないサラリーマン、病気を抱えた人たちがどういう状況を送って…
コロナと生きる2020年 エッセイ

コロナと生きる2020年

毎日がすごい勢いで変化していく。 今まで当たり前にさせていただいた舞台制作が、今は何一つできない。 自分のアイデンティティの崩れていくような毎日。 そんな日々も、人生に一度の体験なので、 2020年の記録を、ここに残しておこうと思います。…
心がオオカミ少年状態だからこそ、日々の暮らしに目を向ける エッセイ

心がオオカミ少年状態だからこそ、日々の暮らしに目を向ける

ああ、私最近呼吸が浅いな、と数日思っていたが、昨夜はいよいよ息苦しかった。こりゃ経験上まずい。コロナじゃなくて、コロナからくる精神的なストレスだと、すぐに感じた。だって、3月の舞台が全部キャンセルで、よし、4月に企画しているものを頑張ろう、と思った矢先に4月も(自分で決断したもの含め)全キャンセル。…
3/25 自分たちで選択できるという「納得」 エッセイ

3/25 自分たちで選択できるという「納得」

3月25日4月に企画制作していたライブを、延期を決めました。そのことで、なんだか妙にすっきりした私がいます。なんでなんだろうってずっと考えていたら、「やっと自分達で選択できたから」なんだと思いました。もちろん、延期は本望ではないし、関わってくれた方への報酬の問題もあるし、本当に観て欲しくて年明けから…
誕生日にオリンピック延期が決まった・・・ エッセイ

誕生日にオリンピック延期が決まった・・・

3月24日(facebookからの記録用転載)本日24日、私は誕生日を迎えたわけですが・・・まさか、コロナウイルスがこんなに大変なことになって、オリンピック延期のニュースが世界中に流れるとは。・・・実は思っていなかったわけじゃなくて、数年前から、「どうしてもオリンピックを開催できてるイメージが湧かな…
「演劇が観れるようになったら」では間に合わないかも エッセイ

「演劇が観れるようになったら」では間に合わないかも

3月16日(facebookからの記録用転載)アートの世界を生きている舞台人たちは、あまり金銭的なことを口にしないけど、国だけじゃなく多分観客がサポートしないと、ここから自粛期間乗り切れない人や団体ががたくさん出てきます。キャンセル料はどこからも入らないし、無料の配信は、収入にはならないし。「演劇が…
生きている人のことを語れ エッセイ

生きている人のことを語れ

祖母の葬儀に秋田まで行って、その豊かな喪の時間のことを書きましたが、もう一つ感じたのは、「生きている人の話を聞いておかなくては」ということでした。私たちは、生きている人にはつい無頓着で、いつも会えると思っていて、亡くなってからその偉大さを声高に語ってしまうけれど、生きている人の言葉こそ今聞いておかな…
死を受容するシステム〜田舎のお葬式フルコース〜 エッセイ

死を受容するシステム〜田舎のお葬式フルコース〜

秋田の祖母が96歳で大往生して、十数年ぶりに秋田へ行った。物心ついてから首都圏の集合住宅で育ち、宗教とは無縁で、田舎のご近所づきあいとも無縁な私。誰かの葬儀に出席することはあっても、宗派のことはおろか、お焼香の仕方も前の人を盗み見し、立ち居振る舞いに一つも自信と確信を持てない私。人の死に直面する機会…