珈琲とおしゃべりと

Vol.2 愛すべき人を演じて:俳優石黒寛さん

名古屋在住の脚本家麻創けい子さんと、俳優石黒寛さんが、X-jamスタジオに来てくださいました。麻創さんは演劇やラジオドラマの脚本家として活躍しながら、ラジオドラマ風舞台「時代横町」(ひと組)脚本、演出を務め、20年にわたるシリーズ作品として上演。石黒寛さんは、ひと組の事務局を務めながら、ご自身の劇団「はぐはぐ⭐︎カンパニー」を主宰して、保育園・幼稚園・おやこ劇場などで公演しています。
今回、11月1日に行われた「一人ミュージカル柿山伏(主演:梅園紗千)」の作・演出として、稽古に立ち会うために初めてスタジオまで来てくださったお二人に、稽古の合間にいろいろなお話を伺いました。

お客様 麻創けい子さん(脚本家・演出家)     
    石黒寛さん(俳優・はぐはぐ☆カンパニー主宰)
聞き手 城間優子(X-jam制作プロデューサー) 
コーヒー担当 シモシュ(X-jam代表)

左:麻創けい子さん・右:石黒寛さん

麻創 もうね、9ヶ月ぶりですよ、名古屋出たの。

———公演はもう再開しました?

石黒 7月からちょこちょこ、1件2件ずつくらい。楚々と移動しながらですよ。名古屋ナンバーなんで、サービスエリア入っても遠くの方に停めて、パッとトイレ行ってまたすぐ動くみたいな。

麻創 ちょうど愛知県が、関東圏への不要不急の移動をOKしたのは昨日から(10月14日)なんですよ。それで、昨日は大手を振って出て来たんです。

———名古屋の劇団もみなさん大変でしたよね。

麻創 近くの劇団もファンドや助成金を使ってなんとかしのいだという話をたくさん聞きましたよね。

石黒 もう助成金の申請とか、極端に疲れるのよ。100キロ走ってこいと言われるほうがずっといいよ。

そんな近況報告から始まった話は、石黒寛さんが役者をはじめたきっかけまで遡りました。たっぷり聴けた昔の話から、尊敬すべき先輩役者たちの伝説、コロナ時代の舞台の話まで、2回に分けてお送りします。今回は、石黒さんのお話を中心にお届けします。麻創さんからもたっぷり伺ったお話は次回。

俺、役者になった

石黒 ずっと役者やってきて、30代半ば過ぎて40代近くなると、誰も芝居に誘ってくれなくなるの。だから自分でプロデュースをするしかないと思って、それからやっと制作するようになったの。自分でプロデュースすれば、やりたい芝居をやりたい人たちと、やりたいことできるじゃない?だから40代半ばすぎて、はぐはぐ⭐︎カンパニーを作ったの。

———石黒さんはそれまでどこか劇団に入っていたんですか?

石黒 入っていない。ずっとフリー

麻創 こんなもん入れてくれるかね

石黒 誰かの下に入るというのがどうにも性に合わなくて。フリーであちこち顔を出せた方がいいやという感じ。だから基礎がないわけ。どこでも何も習ってないから。

シモシュ いわゆる独学なんですか?

石黒 独学というか、学もやってないんですけど。

———そもそもどうやって演劇界に入ったんですか?

石黒 僕は高校出て、5年間サラリーマンやったの。その時の会社に、芝居始めたばかりの女の子がバイトに来て、「今度養成所の卒業公演があるのでチケット買ってください」と言うので、観に行ったんだけど、お芝居観たら、その子じゃないその子がそこにいたから、「なんだこの世界は」と思って、次の日会社辞めてた。で、まだ実家にいたから、次の日から家でゴロゴロしてて、親父が
「仕事はどうしたんだ?」「辞めた」「なんでだ!?」「役者になった」「そんなの食っていけるのか」「いやわからんけど、役者になった」って。
21歳かそこらだったかな。そこからずっとそのまま。

シモシュ 役者に「なった」んだ。もう勝ちだな、それ。

石黒 実家にいづらくなって、一人暮らしを始めたけど、何もやってないし、どうすれば芝居に出られるかもわからないし、とりあえずいろんな小屋とか劇団とか見に行って、多分どこかに入るんだろうなと思ったんだけど、入りたくねえなあと思ってたの。いろんな劇団に客演をするようになって、ずっとそのまま来ちゃった。

———麻創さんとはどこで出会ったんですか?

麻創 その前にずっとラジオドラマをやってた時に彼が来て。その時のプロフィール写真が、若い時のイケイケ写真使ってるわけですよ。イケメン風の写真なの。それでプロデューサーと二人で「かっこいいじゃん。ジャニーズ系ですね。こんな子名古屋にいたかなあ」とか言ってチョイスして、当日来ましたよ。そしたら二人で「はっ!?」

石黒 ちょうどね、この写真はもういかんな、と思っていたところで。ドラマの撮影とか行くと、ディレクターさんが、「石黒さんどこ?」って走って探してるんだけど、「ここにいますけどー」って言ってもみんな写真で探してるから、スタッフが気づいてくれないから。

麻創 写真は全然違うけど、でもラジオだからまあいいかって思ったんだけど、最初からちょっとめちゃめちゃなんですよ。役とイメージと違うので、「それ違う」って言って。

石黒 それが初日。「なんだこいつ」と思いましたよ。当時僕33歳くらいだから、10年選手ですよ。なのに、「どこで覚えてきたの?何もするな!」まで言ったの。

麻創 「そういう芝居いらないいらない。もういい。なんにもするな」って言いました。

石黒 ねえ、どう思う?

麻創 そういう人は普通は切っちゃうんだけど、その時「それ違う」って言ったら、「じゃあこれはどうだ」っていろいろやってくるわけですよ。その食いつきをプロデューサーと二人で見ていて、「この人は今回の役には合ってはいなかったけど、可能性があると思うから、今度違う感じの役でもう一回呼んでみようか」という話になったの。

石黒 フリーだから、最初に行った現場で何か残さないと次がないと思って来てるわけじゃないですか。それでもうけちょんけちょんだったから、もう二度とないなと思ったら、翌週また声がかかったんですよ。毎週やってた番組で。「あれだけけちょんけちょんに言ってたのになぜだ」と思って、今度こそはと思って行きましたね。

それまでラジオドラマにずっとあんまりいい印象持ってなくて。最初に出た時に、女性と二人の短い会話のシーンだったんですけど、僕が行ったら、相手の人はスケジュールが合わなかったというので一人でセリフを入れるわけ。相手がどうしゃべるかもわからんのに。「どうやってこの会話自分だけ入れるんですか?」って聞いたら「あとはこっちでやりますんで」って言って。そんな世界なのかと思って、じゃあ僕は舞台の方がいいと思って、その後はずっと断ってたんですよ。でも友達は、「ここは違うから」と一生懸命誘ってくれて、確かに違ったのね。
だって、ナレーションから音楽からセリフから、全部一緒にガーっとやるの。誰かがとちったら元に戻るんですよ。そんなやり方してるところないから、そこから面白いな、と思って。

麻創 今は簡単に繋いじゃうじゃないですか。その頃は一回止めて「もう一度」って全部流しながら録っていくんですよ。舞台と一緒で、その感情を音楽や語りをやってるみなさんを聴きながら感じながらやっていくという、そういうのを一発録りでやってたんです。

石黒 すごくおもしろかったけど、けちょんけちょんでした。で、2回目に行ったら、こういうドラマの作り方面白いな、と思って、それからは行くたびにディレクターに「出してくれ」と言い続けていたら、数ヶ月後にレギュラーにしてくれましたね。それからずっと出てます。

麻創 そう、それが出会い(笑)

鼻をぺっきぺきに折られて

石黒 確かに当時私は天狗でした。どこに行っても誰がいようが自分が一番だと思っていたので、もう折られてもすっと出るくらい、鼻が。でもぺっきぺき。ちょっと出て来たらパーンと折られる感じでしたね。その頃はボロクソ。俺ね、生まれてかつてあんなにひどい言われ方初めてだな。何をやってもダメだったね。
ラジオも難しかったけど、芝居の台本に何にも書いてないこともあるんですよ。

麻創 「おじいさんよろしく」って台本に書いてある

石黒 そう、「ここで笑わせて。でもあんまり長くならないように、とか書いて合って、最初は怖かったよね、その書き方が。できるものならやってみろ的な。

麻創 1ヶ月やってた芝居があって、その時はお客さんを頭でつかんでほしいから、頭のしゃべりは「今日の時事ネタを使ってお客さんをほぐしてから本題に入ります」とか書いてあるの。

石黒 地獄でしたよ。三人のおばあちゃんの話をやったんだけど、本物のおばあちゃん女優二人に私が途中から入ってくるので、その時に「客席ほぐしてから入ってこい」っていうの。それが30ステージ。何もないんですよ、台本が。当時台本のある仕事しかしたことなかったから、30回のうちの23〜4回は地獄だった。何喋ってもダメ。

「もうダメ、何もない」って言って、でもどんどん出番は近づいてくるし、出なきゃいけないからとりあえず出て、もうわけがわからなかった。自分がなにやってるのか、何しゃべってるのかわかんなかったときに、ドカンと笑いがきて、なんかハッとなって。あれがなかったら今はないですよ。今は適当にしゃべってますけど、固くなっちゃってああいう感覚にはなれなかったですよね。よく20何日も我慢しましたよ。もう行きたくなかったもん。

シモシュ そのアドリブに関しては、終わった後にダメ出しとかなかったんですか?

麻創 「ダメだったね」って(笑)

シモシュ ああ、ほんとのダメ出しだあ。

石黒 グサってくるのよ、グサって。

忘れられない先輩役者たち

石黒 時代横町は20年やっているので、いろんなピンチもありましたよ。出演者が朝、劇場入る車でそのまま病院に入って出演できなくなったことがあって、その時は本番14時開演の11時半くらいだったのかな。12時に入って、全部バーっと台本を麻創が書き換えて、「あなたこの役やって、これだけセリフ入れて」ってやって、本番やってお客さん誰も気づかない。
みんなバタバタしないの、そういう時は。稽古の段階で役を回すから、誰がどの役に収まるかというのもいろんなパターンが生まれて、ベストだと思う配役でやるから、みんな慣れてるのね。

麻創 その時、主の語りをやってくださった女性は80代の方でしたけど、その方が一番慌てなかったんですよ。セリフを振り分けて行ったときにこの人に多分一番ウェイトがかかるな、と思ってたんだけど、「ここ変えていただけますか」「はい」って静かに。本当にさっさっさと自分で書き加えてね。その方が「そんなの困ったわ」って言ったらみんなもざわざわするけど、80代の方が「はい」って言ったらみんなもう必死ですよ。

石黒 みんな涼しい顔して本番やり始めたんだけど、本番初めてぶっつけでやったから、芝居の尺が全然変わって、みんな着替える時間がめちゃくちゃ短くなるというのに初めて気づく。それで泡食って着替えてるの。

さっきの女性はすごい方で、時代横町の始まりの時、1作品目にその女性が語り部で、途中で僕の語りと代わって、最後にまたその女性に戻るんですけど、もうね、稽古してここで本番迎えればいいな、というそのピークのラインに、その人は初見でくるんですよ。初見だから、どういう物語になるかもわからずに読んでるはずなのに。案の定、僕と交代して僕の一行目で麻創さんぴたっと止まりました。「違う」って。もう二行目にいけないのね。

———最初のハードルが高すぎて。

石黒 そう。むちゃくちゃ高くしてくれたもん。どうしようもなくて、本当にその時役者辞めようと思ったもん。でもただ辞めるだけでは癪にさわるから、その作品の中で、何か一つ藁をも掴むつもりで、何かすがりつけるセリフはないかと思ったの。そうしたらひとつだけあって、その役は出征して帰らなくなる青年なんですけど、出征するとき集まってくれた人に「お見送りありがとうございました」という一文があって、これを毎回、自分の中からどういう音が出るかわからないけど吐き出そう、と思ってやったんです。そしたら千秋楽終わった時にその女性が「私にはあんなセリフは言えないわ」って言ってくださったので、「じゃあもうちょっとやります」って。

麻創 CBCが名古屋で最初に民放で開局したんですけど、そのCBCラジオの草分けからラジオの世界でずっとやってきた方なんですよ。

———もう何が起こっても、という、どんなことも体験されたんですね。

石黒 生放送だった頃の人だからね、もうね。

麻創 第一話からずっと一緒にやってきて、80代になってもやっていらして、「来年もお願いしますね」と言っていて急逝されたんです。ギリギリ前日まで朗読教室もやって、最期まで現役で。それはもうかっこいいですよ。

石黒 一文一文ではなく、単語一語一語に気がこもっているんですよ。あんな喋り方できないですよ。

麻創 いい音を聞かせてもらったな、と思いますね。語りの音というのを。それはずっと耳に残っているんですね。そうすると、他のところでワークショップなんかで語りをやるときに、みんなが発してくれる音を聞くと、「甘い」というのがすごくよくわかる。本当に、ここにしか置けないという音を置いていく。そして、言葉尻の置き方の見事なこと。ああ、語りの名手ってこういうことかと思って。いいものを聞かせてもらいましたね。

石黒 その芝居は内容は大人向けですけど、舞台を観にきた4歳の女の子が、その人の言っていることはよくわかる。

麻創 言葉は難しいんだけど、その言葉の音に心があるから、伝わってくるんですよね。

石黒 それが、活字の言葉の意味よりも、感情で入ってくるから、知らない言葉でもわかるっていう。

麻創 昔はそういう方たちがたくさんいたでしょう。

———はい、音と話のリズムがピタッとした方がいましたね。

麻創 ラジオドラマの時も、そういうベテランの方達に入ってもらってやった時、ラジオドラマは尺が厳しく決まってるでしょう。その時は24分30秒で収めるんですけど、「ここ長いな、どうしようかな、削ろうかな」と思っているときに、男性の方だったんですけど、「すみません、これ1分7秒かかってるんですけど、1分で収めていただけます?」って言ったら「はい」って言って時計も見ずに次に測ったら見事に1分で、ええ!って思ったものね。体に時計があるんだこの人は。と。

「僕はもう年だから、舞台には立てませんけれども、こういう世界なら、まだまだ使えますよ」って言われてね。

———宝物ですよね、そういう方。

麻創 本当に。

石黒 僕も、師と仰いでいた人です。何か直接習ったわけではないんですよ。舞台は二本ご一緒して、一つはリア王だったかな。目をえぐられちゃう人の役で、いわゆる「動」の役だったんですけど、もう一本は「十二人の怒れる男」の本当にしょぼんとしたおじいちゃんで、ほとんどしゃべってないけどずっとそこに存在しているという「静」の芝居。両方目の前で見せてもらって、すごくよかったです。すごく見事だった。
すごく優しい人で、全然上からものをいう人ではない。誰に対しても、どんな新人の子に対してもすごく紳士的に話される方でした。
亡くなった時に、お通夜に伺ったんだけど、そんな気全然なかったのに、俺しゃくりあげるように泣いちゃって。どうしてこんなに泣けちゃうのかわからなかったんだけど、俺すごく尊敬してたんだなって。

シモシュ そういう人を目の前で観れたってすごい財産ですね。

笑ってりゃなんとかなる

———コロナの時期はどんなことしてましたか?

石黒 最初、3月にスケジュールが真っ白になった時、1ヶ月くらいはうはうはしてました。1ヶ月も休んだことないから。1ヶ月経ったら、なんだろう、ざわざわしてきて、なんか落ち着かないな、みたいな。みんな映像撮ってるみたいだから、ちょっと撮ってみようかなと思って、
はぐGの今日のことわざシリーズ」を始めて。

麻創 朝、ことわざをパパッと書いて渡すの。

———あれは麻創さんが脚本を?

麻創 あ、違う違う。私が書いたのはことわざだけ。台本はないです。

石黒 もらったことわざ見て、一応2,3分、長くても4分くらいで感じたこととか直感的に思い出したこととかをじいさんがしゃべる。

———じゃあ台本に「よろしく」って書いてあるのと一緒ですね。

麻創 そう。読めない字もあるから、そこから。自分の中で声を出さないでちょっと考えて、「うん。じゃあ始める」って言ったら練習もなく一発録り。

石黒 意味知らずに全然ことわざと関係ないことしゃべったりね。そうすると麻創さんは隣で「はいはい」みたいに笑ってる。全部嘘八百なんだけど、嘘を言っても、そうやってると自分が今まで生きてきたなかであったことや、そういうものもちょこちょこつまんで入れながら喋ってますよね、やっぱり。

朝撮影のためだけに衣装を着て。あれはあれで自分では錆びないためのリハビリみたいな感覚でしたね。3ヶ月くらいやって、まあ100本作って、世の中も戻ってきたから終わろうと。あれはあれでよかったかなと思う。

———世の中が結構ピリピリしていた時に始まったから、本当に笑いました。「くっだらない」って思いました。あの頃みんな「がんばろう」的なけっこういい動画をあげてくるじゃないですか。

麻創 それがあったんですよ。どれ見ても、「そうじゃない」と思って、なんか日常のほにょんとしたやつをやろうって。

石黒 SNSの自分の写真に「笑ってりゃなんとかなる」と書いてるんだけど、とにかくくだらないのが今必要だなと思って。ちょっときゅうきゅうになってたからね。

はぐGの今日のことわざ1~5

ちょっとずつみんながおかしかった時期

石黒 今はスマホでニュースが見られて、こっちが聞かなくてもどんどんニュースが入ってくるから、情報が入り乱れで大変だよね。だから、ちょっとずつみんながおかしかった時期がありました。その人がどうのこうのというんじゃなくて、みんながそうなっちゃうんだろうなと思って。

麻創 本当にずっと家にいたら、たまに買い物でキョロキョロしながら出かけて、誰かとすれ違うのが怖い、という感覚があったりとか、おかしいよね。

石黒 おかしいよね、そんなのね。

———犯人を探すみたいな、疑心暗鬼の時期でしたものね。

石黒 戦時中ですよ、あれ。自粛警察って本当に戦時中のアレと一緒ですよ。

———非国民を探すみたいな

石黒 そうそう。

———公演中の雰囲気は変わりました?

石黒 もう客席は違うよ。ソーシャルディスタンスで離れてるから、本当はものすごく嫌なんだけど、肩寄り添って見て欲しいんだけど、どうしてもすーっと行ってしまうような感覚があって、だからある意味疲れる。疲れるというか、「届いてるかな?」と思っちゃうんだよね。どうしても。みんなで肩寄せ合って笑ってたのが、マスクでこれだけしか見えない、なんか大きな声出すなと言われてるみたいでさ。そうすると、リアクションもそんなに返ってこないし、役者はなんかもっとやらなくちゃいけないんじゃないかと思っちゃう。

麻創 シモシュたちも子どもと一緒に歌ったりすることがありますでしょう。そういうのってどういう感じですか?

シモシュ こないだコロナから初めて県内で公演したんです。僕は本番だけはマスクしないで、客席は各家族ごと座ってもらうけど、内容は変えてないです。実際僕の公演は周りの人とくっついたりいろんなことするので、どこまでやろうかと思ったんですが、家族ごとにくっついているので、結果的に家族が盛り上がるんですよ。子どもだけ遊ばせて、みたいなお父さんお母さんがいなくなったので、逆にこれいいなあと思って、だからやり方によってはおもしろいなと思いますよね。

石黒 この前公演した時、観る側もうずうずして待ってるのはすごくよくわかって、でもいろんな対応も僕らがいいかげんにやってあとで主催者の責任になるといけないから、ちゃんとステージと客席も2メートル取って、そこから先へ出るときはソーシャルディスタンスバージョン。

普段なら密を楽しむシーンがいっぱいあって、安全地帯はない芝居なんだけど、どうしても客に近付くシーンがあるので、その時は相手役に手袋とかカッパとか全部用意して、そこで着せ替え人形みたいに着せて全部それも見せて。もう汗だくでひっついちゃって脱げなくて引きちぎりながら脱がせて、そんなこともやってます。凹むのも悔しいから、逆に演出膨らませて、それを利用して「今しか見れないです」って言って。

会場によっては演者も全員マスクと言われたこともあって、それは無理ですっていうことで急遽違う場所探してもらったり。だって時代劇でマスクしてどうするのって。そうやって酒飲む芝居したって何もおもしろくないもんね。

お芝居の現場を臨場感たっぷりに再現する石黒さん

———フェイスシールドとかは使いますか?本番で。

石黒 人形劇とか小さい子向けでは使うけど、芝居は一切使わず生でやる。だけど前に小さい子向けの作品でつけていた時に途中で紐が切れちゃって、次の出番にちょっと間に合わなくて、ちょっとだけフェイスシールドなしで出て行ったら、「あれはどうしたんだ」って後から言われたこともありましたね。

———うちもマスクはつけないので、「マウスシールドつけてくれた方が安心だ」って言われたこともありましたけど、何を科学的根拠に、どう判断しようか、いつも迷います。

石黒 でもそういう人はね、しても何か言ってくるの。いろんなことが多分蓄積されていて、何か言いたいというか、どこかで吐き出したいというのもあるし、だからいっぱいいっぱいだなあ、大変だなあって思う。それはその人が本当に言いたかったのかなと思うと、そうじゃないところの鬱憤がこっちの方に向けやすいというのもあると思うのね。だから、いろんな所で、いろんなご意見言われるんだけど、ここに吐き出せるならどうぞって思う

———その懐がすばらしいです。

麻創 だからこんなお腹になっちゃったの。

石黒 まあ丸い方が当たりがやわらかいというね。ナントカ警察もみんなそうですよ。いっぱいいっぱいですよ、あの人たち。誰かに吐き出さないとどうしようもないんだと思うのね。ある意味極限まで追い詰められたら、真面目でいい人でも本当に何するかわからないですよね。いろんな情報でそうなっちゃったり、風評被害であったり。でもそんなのはもう、日本は随分前からずっとひどいじゃない。どうしてもいろんな意味で余裕がなくなってくるんだよね。
こんなに仕事がないと、生活も苦しくなったり、先への不安で本当におかしくなってくるんだよね。

麻創 でも、私らこの仕事選んだ時点で、もうね

石黒 そんなに変わってないんですよ。半年仕事なくても「だから?」みたいな。だって芝居始めた頃なんか何年もなかったよ。お金ももらってなかったし。

———というか、初舞台に立つ前に「役者になった」んですものね。

石黒 あはは、そうだよね。

その日の稽古の最後に、石黒さんは演者にこんなアドバイスをしていました。  
「これはね、愛すべき人しか出てこない芝居なんですよ。愛すべき人を演じるのが僕らの仕事なの。人物を意地悪に描くんじゃなくて、この人も愛らしい、こっちの人もかわいい。その方が面白いし、腹に落ちやすい。役になって遊びだすと、そういう役がもっと生き生きしてくる。そうすると、どんどん楽しくなってくるんだよ。」
  このコロナ禍の時期にあっても、観客の喜びも不安も受け止めながら、様々な制限も笑いに変えながら、ひょうひょうと演じる石黒さんの、役者の矜持と魅力がそこに込められていると感じました。
                                               文責 城間優子(X-jam)

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